Westbourne Glove の道路の真中のトイレ

私の友人にJohn Scottという人がいる。彼は大学はオックスフォードで職業は法律家である。しかし、私は法律家としてのジョンを一度も見た事がない。彼の趣味はアンティックのコレクターで家はまるで美術館のようである。また、家を転売してモノポリして行くのも趣味。その彼が大分前にwestbourne Gloveの大きな道路沿いに大きな家を買った。イギリスの家は大概棟続きで日本の家のように孤立していない。だからというか、増築とかに関してもいろいろと面倒なのだ。彼がその家を買った当時、Westbourne Gloveはやや荒んだイメージの地域だった。その頃はKnightsbridgeとかChelseaとかが人気のエリアだった。彼はもちろんWestboune Gloveを人気の地域にしたかった。そこで思いついたのが家の目の前にあるトイレを改装する事、でもただ改装してもつまらないので彼独特のユーモアとアーティスティックなセンスでフランス人の有名建築家建築家フィリップ?何とかに頼むことにした。自分のお金半分と残り半分はNottinghill invirrament に交渉して出してもらう事に成功。写真のようなトイレが出来た。今は花屋さんが入っていてとても忙しくてすてきで一杯のお花で溢れている。当時はJohnの自慢のトイレだった。今でもだと思う。そのトイレが出来てからと言うもの、やや荒んだイメージだったwestbourne Gloveのエリアが一変。コンランショップアニエスベー、などが建ち並ぶ目抜き通りとなったのだ。映画「ノッティングヒルの恋人」も製作されたし。ジョンは出で立ちもルッルスもgoodのイギリス紳士(?!)。日本には35年前に来た事があるそうだ。ラグビーの試合で。Oxford対オール日本で25対0で完勝したらしい。
ジョンに関するエピソードは一杯。イギリスって面白いのはジョンのように定職を持っていないユニークな人が結構いる事だ。日本じゃとても考えられないけど、みんな面白い哲学持っていて話し好きで楽しい。なぜか日本人のように「忙しい」と言うのが口癖。ジョンの友達はみんな彼の「忙しい」の意味を知っている。
ジョンはアーティストが好きで助成金もけっこうあげているみたい。God daughterも一人いて彼は自分の子どもはいないがGod fatherなのだ。Londonに行く度にジョンとランチしてくだらない話しを一杯するのが好きだ。

私にとっての絶好の住処だったロンドン

私の生まれは奈良県吉野山だ。回りが山に囲まれている盆地で夏は暑く冬は寒い。私が生まれた家は築150年は経っていただろうか、3年前に解体された。とてもいい家だった。入ると土間になっていて天井は高く切り込まれた窓からは四角い日差しが入っていた。祖父は医者で曽祖父は明治のビジネスマンで日本で最初にマッチの軸木を作った人だ。もっと先祖は忍者だったらしい。だから家は天川村の出身なのだ。私が小さい頃は家の中で働いている人は誰もいなかった。祖父はすでにリタイアしていて毎日朝から株式市況をラジオで聞いていた。祖母は働き者で毎朝5時に起床して竃で湯を沸かし、家族のために茶粥をこしらえた。四季折々の花木はいつもせんだいに咲き誇っていた。家族は無口で必要な事しか話さなかった。そんな環境で育った私は大学を卒業しても就職なんて考えてもいなかった。小学校の時は学校の先生になりたいと思っていた。ロンドンに行ったきっかけは「ビートルズが好きだった」から。特にイギリスの事を勉強した訳でもない。ただ行って見て、暮らしてみて、人と話してみて、人の話しをたくさん聞いて、「私の住む場所はここだ」と思った。ある日ある時人が話したある言葉でピンと来たのだ。イギリスには階級があって主にアッパークラス、ミドルクラス、ワーキングクラスとなっている。私が好きなのはアッパークラスとワーキングクラス。彼らは本当に自由と思えるのだ。帰国してもうずいぶん経つから具体的な事はすぐには思い出せないが、何が面白いかと言うと彼らのロジックが面白いのだ。彼らの言う事は理にかなっている事が多くて、ナンセンスが嫌いだ。イギリスには死刑制度もないしお巡りさんは拳銃を持っていない。刑務所の事は次回のエッセーで書くことにするけど、彼らが捉えるジェイルというのもとてもいい。フリーの写真家でドラッグでジェイルに入った人を知っているけど人は差別はされていない。出て来たらまた友人として迎えられている。ジェイルの中にも演劇集団があって出られた暁には俳優になると言っている。知り合いの奥さんで40歳になった人がいたけど、彼らは離婚した。理由は奥さんがポップシンガーになりたいと言う理由からである。今だと別にどうってことはないがこの話しはかれこれ20年になる。彼女がその後ポップシンガーになったかどうかは知らないが。こんな話しがとにかく山ほどあるのがロンドンなのだ。型にはまっていない家庭で育った私にとってロンドンは絶好の住処だったのである。photograph by Howard Grey

Mr .ソールト オブ NAT WEST BANK (ナショナルウエストミンスター銀行)

イギリスに行く前は私は銀行はお金を預けるところ(か、たまに借りる)と思っていた。ところがMr.ソールトに会ってから銀行のイメージは一変した。
私はイギリスで写真を始めたカメラマンだ。VOGUEの仕事もNINETEENの仕事もさせてもらった。遠くに於いてはイタリア誌のGRAZIA,AMICA迄。渡航する迄はビートルズしか知らなかったのに。生活してみると無口そうな紳士、淑女のイギリス人達はしゃべるしゃべる! おもしろいくらいに! 何と言っても親切。もちろん、シュルードで?なところもたくさん。イギリスのいい所は誰に対しても何を発言しても構わないという所だ。遠慮する必要がない。これはすごく気に入った所。それは言語が下手だからとか言う問題でもないという事もわかった。もちろん上手に喋れるに越したことはない。こういうことは生活しながら徐々にくみ取って行った。
さて、バンク。カメラマンとして生計を立てるにはCAPITAL、お金が必要だ。小道具を買ったり、ね。私はお金が必要になると必ずNATWESTBANKに電話してMr.ソールトとアポイントを取った。BANK MANAGER(店長)なのに必ず本人が電話口に出てくれるんですよね![Hello Miss Oyama , What can I do for you?」と尋ねて来る。「OVER DREW したいんですが..」と言うと「では、いついつBANKにいらっしゃれますか」と言う事で電話を切る。アポイントの日に行くと店長室に通される。しばらくすると白髪のヘヤーで口元にも白く立派なお髭の紳士が三つ揃えのピンストライプのスーツを着て現れる。いつもにこにこされていた。必要経費をメモに数字で書くと「では、その分、小切手を切ってもかまいませんよ」と言ってくれるのだ。私はいつもうれしくなって銀行の表通りのチェルシーをスキップして駅迄行ったものだ。Mr.ソールトのおかげでいつも撮影に必要なフィルムを買ったり、仕事の為に雇った人に小切手で支払う事ができたのだ。車も家も買えた。
白髪にお髭、今でもはっきりとお顔を覚えている。何度お目にかかったのだろう。もう役に立たないけれど未使用の小切手帳は今でも手元に置いてある。去年ロンドンに行った時、NATWESTBAKNK Chelsea Duke of York 支店に行って見たらもうなかった。今度ネットで調べてみよう。
photograpg by Howard Grey

ハロッズというデパート...

ロンドンのナイツブリッジハロッズというデパートがある。グランドフロア、一階から4階迄5階建てになっている。私が一番好きなのは一階のフードフロアだ。床には挽き粉が敷かれ、タイル台には雉や兎が並べられている。私は雉や兎丸ごと買った事がないがビーフは並んでいい所を切ってもらった事は何度かある。私はイギリス生まれでもイギリス育ちでもないから、あのフードフロアに並べられた瓶詰めや缶詰の殆どはよくわかっていないが、本当に様々な種類のいろんなものが一杯並んでいて、ひとつずつ手に取って見て歩くのもとても楽しい。イギリス人の店員のお兄さんは日本人女性の質問を丁寧に答えてくれるのだ。あとで「あんなに質問して買わないで悪いかな?」なんて思ってしまうくらいに。だって買っても食べた事ないものはお料理出来ないものね。ハロッズのフードフロアでいつも買うのがスモークサーモン、紅茶、ビーフ、ポーク、それからワイン。たまにキャビアも買ったかも?
ハロッズでもう一つ好きな所はフードバーでオイスターバーからすしバーまで店の奥にあるのだ。特にオイスターバーがいい。目の前で牡蠣の殻を開けてくれる。イギリスの牡蠣は日本の牡蠣みたいにおなかがでっかくなくて薄くてかわいい。特にロックオイスターがおいしい。オイスターに合うワインはもちろん冷たく冷やしたシャブリ。ああ、思い出しただけでも飛行機に乗ってロンドンに飛びたくなってしまう。オイスターバーは円になっていて、円の中にシェフがいる。お客さん同士顔がうかがえる。和気あいあいとはこのバーに集まるお客さん達。おしゃべり好きのイギリス人らしく知らない人同士で盛り上がるのだ。それがとても楽しくてオイスターにエクストラフレイバーを与えてくれる。私は1ダースの牡蠣と3グラスのワインでハッピー。その後も続きがある。ちょっとほろ酔い気分でハロッズの向かいにあるハイドパークにお散歩。これがセットになってもっともっと楽しくなる。初夏のイギリスは夜9時になってもまだ明るい。日本みたいに蚊もいないし、どんどんどんどん歩いて行ける。ロンドンは一人暮らしにももってこいの街なのだ。ハイドパークの北に行けばスピーカーズコーナーという場所があって誰でもそこでは自分の思っている事をスピーチする事ができるのだ。この写真は資生堂花椿誌のために撮影したのだけれどイメージはスピーカーズコーナー。
photograph by Howard Grey

ロンドンオリンピックが近づいています...

久しぶりにブログを書いています。ロンドンオリンピックが近づいて来て本当にエキサイティングです。特にお笑いの「ネコ」さんとか「しずちゃん」とかスポーツとあまり関係がないと思っていた人たちの参加です。やっぱりオリンピックの基本って誰でも参加出来るという事なんだと思います。日頃から体を鍛えるもよし、思いつきで参加するもよし、です。

そんなイメージにぴったりなのがやっぱりロンドンです。

私は長い事イギリスに住んでいました。初めて行ったのはなんと1980年! 何と30年前です。ロンドンの何が私をそんなに虜にしてしまったというのでしょうか。それは「人」です。イギリスほど「人」を大切にしている国はないのではないでしょうか? イギリス人は「人」をよく理解しているのです。例えばです。ロンドンの地下鉄(undergroundと言います)ですが、両方通行はないのです。一方通行のみです。第二次大戦ではロンドン地下鉄防空壕として使われていました。地下鉄の線路の上に並んで寝ている人たちの写真を見た方もいらっしゃるのではないでしょうか? 「混乱した時の人の理性を信じない」というのが一方通行の理由です。〜なるほど〜戦争が起こって爆撃されたり、隣で人が死んでいたり、血を流していたり...少なからずも私たちは動揺し、普通の精神状態ではなくなります。そんな時、爆撃があったりして逃げようとする時に両方通行では、人と人がぶつかりあってうまく通行出来なくなるかも知れない、そんな「人」の精神状態を汲んで敷かれた一方通行のルール。

「人」はどんな時でも冷静でいられないという自らの弱点を通行のルールにしてしまったサンプルでした。

イギリスにはこの他にも自らの弱点を捉えたジョークなどもたくさんあります。順にこのブログでご紹介出来ればと思います。

毎日書けるブログではありませんが週に2度は更新して行きたいと思います。ロンドンの写真は友人のHoward Greyが撮ってくれることになっていますので到着次第アップして行きますね! 今日はこんな所で..photogrph by Howard Grey

ニューヨークの鉄道の線路跡

NYの鉄道跡がブリッジの形をした公園になった。イギリスで言えばパブリックフットパスのような感じ。だけどちょっと違うのは鉄道跡という事かしら。線路上はウッドデッキになっていて両脇はイングリッシュガーデンさながら、いろんな草花が植えられていて風が吹くとハーブの香りが流れてくる。いい心地。ベンチも所々に置かれ歩き疲れると適当に休憩も出来る。全長3キロもっとあったかしらん。これがNYの都会のど真ん中にあるので大変な人気。
トンネルの蛍光灯さえアートしている。車道をながめるギャラリーは真ん中の写真。鉄道跡の全景(一番下)

短編作品 Last ecstasy がSSFFに入選しました

去年制作した短編映画がショートショートフィルムフェスティバルに選ばれました。これは私が監督したはじめてセリフの入った映画です。CM出身の私はイメージが浮かんで来てもセリフが浮かんでくる事がなくちょっと大変でした。
イメージ作りは大好きです。
日本ではネット心中が盛んです。特に集団で車の中に練炭を持ち込んで自殺したりしたニュースにはびっくりさせられました。孤独という概念は理解できてもあっさりと人生をあきらめてしまうという事はすぐには理解できませんでした。
家族とのつながりを断たれてしまう、家族から愛されない、これはとてもつらい事です。この事実を踏まえ、死んで行くという事に人生のクライマックスを持って行くという自作自演のドラマを自分で演出して死んで行くという一人の女性の断片を描いてみました。いやあ、むずかしかったです。でも、楽しかった! 今は新しい作品に入っています。
http://www.shortshorts.org/2010/ja/official/a-f.html


ストーリー
近年ネット心中が盛んになっている。この作品は家族とも心の繋がりをなくし、行き場を失った一人の女性の生活の一部を切り取ってみた。あかねは殆ど外出をせず、狭いアパートの中で芋虫のように背中を丸くして常に自殺サイトを訪れ、そこに集まる人たちとチャットしていた。しかしどうしても踏み切れない。ある朝一人の男から心中しないかと誘いが入る。