私にとっての絶好の住処だったロンドン

私の生まれは奈良県吉野山だ。回りが山に囲まれている盆地で夏は暑く冬は寒い。私が生まれた家は築150年は経っていただろうか、3年前に解体された。とてもいい家だった。入ると土間になっていて天井は高く切り込まれた窓からは四角い日差しが入っていた。祖父は医者で曽祖父は明治のビジネスマンで日本で最初にマッチの軸木を作った人だ。もっと先祖は忍者だったらしい。だから家は天川村の出身なのだ。私が小さい頃は家の中で働いている人は誰もいなかった。祖父はすでにリタイアしていて毎日朝から株式市況をラジオで聞いていた。祖母は働き者で毎朝5時に起床して竃で湯を沸かし、家族のために茶粥をこしらえた。四季折々の花木はいつもせんだいに咲き誇っていた。家族は無口で必要な事しか話さなかった。そんな環境で育った私は大学を卒業しても就職なんて考えてもいなかった。小学校の時は学校の先生になりたいと思っていた。ロンドンに行ったきっかけは「ビートルズが好きだった」から。特にイギリスの事を勉強した訳でもない。ただ行って見て、暮らしてみて、人と話してみて、人の話しをたくさん聞いて、「私の住む場所はここだ」と思った。ある日ある時人が話したある言葉でピンと来たのだ。イギリスには階級があって主にアッパークラス、ミドルクラス、ワーキングクラスとなっている。私が好きなのはアッパークラスとワーキングクラス。彼らは本当に自由と思えるのだ。帰国してもうずいぶん経つから具体的な事はすぐには思い出せないが、何が面白いかと言うと彼らのロジックが面白いのだ。彼らの言う事は理にかなっている事が多くて、ナンセンスが嫌いだ。イギリスには死刑制度もないしお巡りさんは拳銃を持っていない。刑務所の事は次回のエッセーで書くことにするけど、彼らが捉えるジェイルというのもとてもいい。フリーの写真家でドラッグでジェイルに入った人を知っているけど人は差別はされていない。出て来たらまた友人として迎えられている。ジェイルの中にも演劇集団があって出られた暁には俳優になると言っている。知り合いの奥さんで40歳になった人がいたけど、彼らは離婚した。理由は奥さんがポップシンガーになりたいと言う理由からである。今だと別にどうってことはないがこの話しはかれこれ20年になる。彼女がその後ポップシンガーになったかどうかは知らないが。こんな話しがとにかく山ほどあるのがロンドンなのだ。型にはまっていない家庭で育った私にとってロンドンは絶好の住処だったのである。photograph by Howard Grey